かつて路面電車として福岡市内や北九州市内を走り、譲渡先の筑豊電気鉄道(以下、ちくてつ)でも45年にわたって地域交通を支え愛されてきた電車「2000形・2003号」が、2022年11月7日に引退。その最後の1日に密着した。
筑豊電気鉄道、通称「ちくてつ」は、黒崎駅前〜筑豊直方間の16.0㎞を運転し、北九州の副都心・黒崎と中間市を経て直方市を結んでいる鉄道事業者だ。西鉄のグループ会社で、かつては炭鉱で栄えた筑豊エリアの交通を支えている。
そんな「ちくてつ」から2022年6月23日、2000形の運用終了が発表された。
「ついに引退か……」。SNS上には「2000形・2003号」を惜しむ投稿が多くみられた。
そして、2022年11月7日が訪れた。1977年から実に45年走ってきた車両は、時代の役目を終えて定期運行から引退する。
列車が最後に走る特別な日――「ラストラン」。最後の1日を追いかける。
そもそも「2000形」とは、かつて、西鉄が福岡市内・北九州市内の路面電車として使用していた車両だ。
その一部を筑豊電気鉄道に譲渡して車両を改造。1977年7月に運行を開始した。なかでも今回引退することになった「2003号車」は、3両の黄色い車体に赤い帯を施したデザインが特徴で、沿線住民からは「黄電(きなでん)」の愛称で親しまれた電車だ。
パステルカラーの配色でこじんまりとした車両は、時代が移り変わっても「チン、チン」と小気味よい音を立て、のどかな筑豊エリアを走り続けてきた。そんな県内最後の現役車両「2000形・2003号車」が、老朽化や新型車両の導入に伴って、惜しまれながらも引退する。
11月7日。心地良い秋晴れの中、午前10時に筑豊電気鉄道の始発駅である「黒崎駅前駅」から「筑豊直方駅」行きの電車に乗り込んだ。
団地が立ち並ぶ住宅街を抜け、2駅先の「萩原駅」で途中下車。無人の駅で清掃作業をしている方に声を掛ける。
お仕事中すみません、毎日ここで作業をされていらっしゃるのですか?
ええ。私は駅構内の清掃員で、かれこれ11年、『ちくてつ』の駅舎の美化を続けています。
11年とは、すごいですね!
駅に降りたらだいたい次の電車が来るまでにホームの清掃や掲示板の張り替えを終わらせるようにしています。終わったら、次の駅へ移動するんです。
では、2000形・2003号のこともご存知でしょうか?
あ、今日が運行の最終日の電車ですよね。あの電車にもよく乗りましたよ。3両編成でほかの電車よりも人を多くのせられるので、朝のラッシュ時にしか運行はしていないんですけど、どの電車よりも見た目がかわいくて愛着がありました。明日から見られなくなるなんて想像できないけれど、やっぱり少しさみしいですね。
同じく萩原駅で居合わせた方にも話を聞いてみた。
「仕事や飲み会で黒崎駅前駅へ行く時はいつも萩原駅から『ちくてつ』を使っています。終電ギリギリまでお世話になっているので、これからもなくては困る存在です。」(40代女性)
萩原駅を出て7駅先。今後は「通谷駅」で降車した。ここは「ちくてつ」の本社が隣接する駅で、周辺には映画館が入るショッピングモールやドラッグストアが立ち並び、開発が進んでいる。
黒崎駅前駅行き、上りホームのベンチで腰を下ろしているご婦人に声を掛けた。
今日はどちらにお出かけですか?
黒崎まで『シロヤ』のパンを買いに行きます。あと今晩のおかずの餃子も。お父さんの大好物なんです。
普段から「ちくてつ」はよく利用されますか?
買い物や通院で利用しています。家にじっとしておくのが苦手で、よく外に遊びに出掛けるんですよ。
ほかの交通手段ではなく、「ちくてつ」を利用される理由は?
電車が一番手軽に乗れて、早いからですかね。私自身は免許を持っていなくて、車を出してくれる息子も平日は仕事。そうすると通谷駅から乗り換えなくスムーズに黒崎へ行けるのは『ちくてつ』なんです。
通谷駅で居合わせた他の方にも話を聞いてみた。
「自動車免許を返納したので、『ちくてつ』がないと困るんです。」(70代男性)
「妊娠中で体調が不安定なので車の運転は怖くて。定期検診で電車を利用しました。」(30代女性)
筑豊エリアの限られた移動手段のなかで、沿線住民にとって「ちくてつ」の役割は大きいことを改めて実感!
沿線住民の方々のエピソードをお話しいただいていたらあっという間に昼下がり。ラストランは14時13分、「楠橋駅」の出発だ。電車営業所と車庫が隣接しており、車庫内に、入線前の「2000形・2003号」があった。
正面から向かって左側に「黄電(きなでん)」の面影を残しつつ、右側は正面と同じツートンカラー。この塗装は開業当初の「西鉄マルーン&ベージュ」と呼ばれ、「2000形・2003号」は1台で2つの電車の塗装をあしらう。上りと下りで違った顔を見られるというほかにないおもしろさがあるのだ。
最終点検を終えた車両に特別に入らせてもらった。レトロなベロア素材で作られたロングシートがずっと奥まで続いている。
3両にわたる車両は、それぞれ1959年に製造され北九州市内を走った路面電車が2両目に、1964年に製造されて福岡市内を走った路面電車が1、3両目に使われていた。連結部分にその名残があった。
「3000形」や「5000形」は車掌が乗務せず運転士だけで運行する「ワンマン運転」だが、「2000形・2003号」は車掌と運転士が2人で乗務し「ツーマン運転」をする。つまり、この光景も今日で見納めとなる。
肩から下げられた、がま口の車掌カバンが電車と同じくらい「いい味」を出している。
まだ誰も乗車していない車両を降りる頃には、外にテレビや新聞社などメディア陣が集結していた。ラストランの時が刻一刻と近づいている。
一方、車庫の外では、カメラを持った鉄道ファンがその時を「今か、今か」と待っていた。高揚感と緊張感が高まる現場に駆け付けた人へ話を聞くと、2000形への強い思いが聞こえてくる。
「今日は朝5時に起きて始発から撮影をしています。学生時代から20年以上中間市に住んでいてずっと『ちくてつ』を愛してきたので、運行終了はやっぱりさみしいです。」(40代男性)
車庫で佇む「2000形・2003号」にヘッドライトが灯る。いよいよラストランが出発だ。「チン、チン」と聞き慣れた音とともに「2000形・2003号」はゆっくり入線する。
到着を待ちわびた乗客とメディア陣が電車に乗り込むと、筑豊直方行きの臨時便が出発。
乗客たちは写真を撮ったり、車両を隅々まで見て話し込んだりと、各々が2000形との時間を過ごしていた。
のどかな田園風景を走り抜ける2000形。一定のリズムを刻む走行音と心地良い揺れに身を任せていたら、あっという間に筑豊直方駅に着いた。
ここで一度折り返し、黒崎駅前駅で本当の運行終了を迎える。筑豊直方駅では、遠賀川の河川敷で2000形を待っていた鉄道ファンと合流し、乗客は100人ほどになった。
臨時便の始発駅から黒崎駅前駅まで乗車していた方に話を聞いた。
「2000形は昔、祖父と一緒に乗った思い出の電車なんです。運行が終了するとニュースで見て、98歳の祖父に話したら当時の写真を引っ張り出してきて懐かしくなって今日ここに来ました。本当は祖父も連れてきたかったけれど……。でも、この写真を持って帰ったら、きっと喜んでくれると思います。」(60代男性)
「実は元西鉄社員でして……。これまで一人では何度か乗ってきた電車でしたが、妻と一緒に乗るのは初めてなんです。最後に連れて来ることができてよかった。」(70代男性・ご夫婦で乗車)
15時24分。定刻通り、2000形は黒崎駅前駅に到着した。最後の瞬間、瞬間を惜しんでいるかのような静かな入線を全員が温かく見守る。
そこには、ちくてつを愛する同好会からの横断幕もあった。
全員が降車し終わると、行き先を示す方向幕がゆっくりと「回送」へと切り替わる。
「チン、チン」と音が鳴ると、大勢のファンから見送りの拍手が巻き起こった。「ありがとう!」「おつかれさま!」と続く掛け声のなか、車掌さんからは安堵にも似た小さな声。
「よしっ」
45年、約半世紀にも及ぶ運行に幕を閉じ、「2000形・2003号」は黒崎工場へ走り出した。
筑豊電気鉄道株式会社 事業本部 運輸車両課 電車営業所 助役
2004年 筑豊電気鉄道株式会社へ入社。車掌および運転士を経て、「2000形・2003号」ラストランの運転士を務めた。
最終運行の運転士を務めたのは、筑豊電気鉄道株式会社の木森 高志さん。
現在の率直な感想を。
長い間活躍していた電車の引退です。込み上げるさみしい気持ちを抑えながら、1回1回のブレーキを噛み締めて、最後まで安全運行で終えられたことに今はほっとしています。
ラストラン、たくさんの方が乗車されていましたね。
最後まで本当に多くの方に乗っていただいて、車内は全盛期の輝きを取り戻していました。皆さんから『おつかれさま』『ありがとう』という言葉をいただきましたが、私も2000形に対して同じ気持ちを抱いています。
木森さんにとって2000形はどんな存在だったのでしょう?
2000形はほかの車両よりも古いぶん、夏は暑く、冬は手がかじかむ電車でした。昔はICカードや両替機もなくて、ラッシュ時には大忙しだったのですが、今となっては手を掛けたことも良い思い出です。今日で思いの詰まった2000形がなくなると思うとやっぱりさみしいですね。
最後にメッセージをお願いします。
2000形は今日で最後でしたが、3000形や5000形はまだまだ走り続けます。これからも『ちくてつ』が地域の皆さまの足になれるように、車両に負けず私たちも頑張っていきます。
インタビューを終え、自らの肩を撫で下ろした木森さん。きっと朝から緊張が続いていたのだろう。車両技術員や本社の方々と微笑み合いながら輪を囲む姿が夕日に照らされてキラキラと輝いていた。
ラストランには、一人ひとりの思いがあった。それは、ひとときの感動や鉄道ファンの愛だけではなく、沿線に住む住民の方やまち全体を含めたもっと大きなもの。2000形がいなくなっても、「ちくてつ」が地域にとってなくてはならない存在であることに変わりはない。今日もまちとともに、「ちくてつ」は走る。