世界各国で温室効果ガスの排出をゼロにする「カーボンニュートラル」が掲げられる今、福岡の交通事業を担う西鉄でも、EV化を目指す新たな挑戦が進行中だ。脱炭素化に向けて導入されている「炭素税」が段階的に引き上げられてきたこともあり、ディーゼルバスだけの運行では経営面でも大きな壁に直面することは避けられない。
脱炭素化と健全な経営の両立——。そのカギを握るのが、古くなった車両を改造して作られた「レトロフィット電気バス」だ。
西鉄のバス事業を統括する「自動車事業本部」では、2019年に電気バスを導入。2021年からは、その取り組み第二段として「レトロフィット電気バス」の自社製造に向けて、台湾の大手EVバスメーカー・RAC社との協業がスタートした。
福岡のまちを走るバスが「レトロフィット電気バス」に変わる未来は、いつ頃に訪れるのか? EVバス製造と運行の最前線に迫る。
「レトロフィット」とは、技術用語で「古い機械や装置を改造して新式の技術を組み込むこと」。西鉄の「レトロフィット電気バス」とは、古くなった車両を改造して、新しく生まれ変わった電気バスのことだ。
改造するのは、動力となるエンジンの部分。ディーゼルバスの車両後部にあるエンジンを、モーターやリチウムイオンバッテリーに交換し、電気バスへと改造する。
電気バスの動力源は蓄電池で、二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量が少ないため、ディーゼル車と比較すると、はるかに環境にやさしい。国内や世界が脱炭素社会を目指す今、「レトロフィット電気バス」の製造は、福岡や九州の広い範囲で交通事業を担う西鉄にとって重要な命題のひとつなのだ。
バスの運行だけにとどまらず、「レトロフィット電気バス」の運行、製造にも乗り出した西鉄グループ。現在「レトロフィット電気バス」はどのようにして作られているのか? 製造の舞台は、佐賀県基山町にある「西鉄車体技術」の工場だった。
1956年に設立された西鉄車体技術は、バスの修理やリニューアル、車両の改造などを行っている会社だ。
同社は当初バスの修理会社だったが、技術力の原点は『震電』の名前で知られる「幻の戦闘機」を制作した「九州飛行機」(1953年商号変更)と、近年までバス車体製造を生業とした「西日本車体工業株式会社」(2010年解散)にある。日本の製造業を支えてきた数多の技術者の知見とノウハウが、西鉄車体技術の礎となっているのだ。
バスは自動車メーカーで組み立てられるのが一般的で、国内では「いすゞ自動車」や「日野自動車」など数社のメーカーが存在する。そうしたなか、バスの運行や管理だけではなく、車両の設計・製造・販売までも手掛ける企業はほとんどなく、西鉄グループはかなりめずらしい存在だと言える。
さらに、車両を改造してEVバスにする事例はあるが、自社の古い車両を使うこと、バス会社が自社(グループ)内で製造することは日本初のケース。この事例を参考にしようと、全国から多くの視察団が佐賀県にある工場を訪れている。
①一般路線バスとして使用していた車両のエンジンとトランスミッションを取り外す。
②排気ガスの出ないモーターと、モーターを動かすバッテリーを10パック搭載する。
③各部品の結線作業を実施する。
レトロフィット電気バスの製造を行うという、かなり高い技術力もった西鉄車体技術だが、初めからそのノウハウを持っていたわけではない。
実は、台湾政府公認の大手電気バスメーカー・RAC社による技術指導により、製造が実現しているのだ。
RACは、電気バスに特化した開発・製造・販売を手掛けているメーカーで、台湾で電気バスに関わる政府認証を取得したのはRACが第1号だ。2005年の創業以降、2011年から台湾で累計350台以上の新車電気バスの生産・販売実績を持っている。
電気バス製造の優れた技術をもつRAC。
その技術力を垣間見るため、エヌカケル編集部は2023年夏、台湾にあるRAC社の電気バス製造工場へ取材に向かった! 本工場では、最新のロボットや機材を用いたバス生産ラインを見学。オートメーション化が進んだ工場では、最小限の人員で効率的に生産が進められていた。
また、RACのEVバスや管理システムを導入する台湾大手バス事業者「大南(ダーナン)バス」が2023 年6 月に開業した「北投(ベイトウ)営業所」も訪問。太陽光パネルや大型蓄電池を活用して効率的に充電ができる電力管理システムやバス運行管理システム、電力管理システムが一元管理されている最新の事例について教えてもらった。
こんなにも最新技術が導入されているとは・・・!エヌカケル編集部も実際にその目で見て、驚きを隠せなかった。
世界最先端のテクノロジーで電気バス事業をリードするRAC社から技術指導を受けることになった西鉄は、コロナ禍の最中だった2021年にWeb会議をスタート。以降もオンラインでRACの技術者と西鉄車体技術の工場をつなぎながら打ち合わせを継続。2021年度末には北九州営業所に1台目の試作車が到着し、その後の実証実験へと移った。
自動車事業本部の前田正人さんは、「レトロフィット電気バス」事業を推進する中心人物の一人。バス車両の点検整備・保守管理などを担う西鉄エム・テックから本社へ出向中で、バスの構造もよく知る技術者の視点も生かしながら事業を進めている。
試作1号車が完成して北九州に到着した時のことは、今でもよく覚えています。まさかオンラインでの打ち合わせがメインで「レトロフィット電気バス」が完成に至るとは。世界でも最先端の技術を持つRACさんとの協業は、いつも多くの学びがあり、西鉄にとっては欠かせない存在です。
今年はRACのスタッフが西鉄車体技術の工場を訪れ、技術研修が実施された。
研修後、RACのスタッフは、西鉄と西鉄車体技術について次のように語ってくれた。
「バス会社であり、自社グループ内にバス製作会社をもっているというのがまず稀少。同じグループだからこそ、細かな改良点などの意見を迅速かつスムーズに反映できるのだと思います。私たちRACにとって、海外への製品輸出は初めての挑戦。『レトロフィット電気バス』の事業に携わることは、販路拡大のメリットだと捉えています」
一方、西鉄グループにとっても、台湾最大手のEVバス製造会社との協業は大きな成果だった。
世界有数の技術を持つRAC社と手を組めたおかげで、自社で「レトロフィット電気バス」が製作できるようになり、現場も大いに刺激も受けました。今後はグループ内だけでなく、外部拡販の道を探りながら製造を続けられたらと考えています。
「レトロフィット電気バス」を1台製造するのにかかる金額は、新車の電気バスを購入した場合の半分だと言う。
1台を製造するのにかかる期間は約2~3カ月間。決して短くはない時間だが、製造の体制を整えれば今よりもっと効率的に生産が可能になる。人や環境への配慮だけでなく費用面においても、「レトロフィット電気バス」の製造は西鉄にとって大きな一歩なのだ。
そんな「レトロフィット電気バス」には課題も残されている。
電気を使うので、効率的な運行と充電がコスト削減のカギ。システムの構築で充電タイミングなどをコントロールするエネルギーマネジメントを実現することが大きな課題です。また、今後は製造台数が増えるので、技術教育も重要なポイントです。
現在、西鉄の「レトロフィット電気バス」は、フル充電で約150kmの走行が可能だ。その航続距離は軽油を満タンにしたディーゼル車よりも短く、走行できるルートが限られてしまう。
充電が不足しないよう、運行中は昼間に継ぎ足し充電を実施。安全に運行できるよう細心の注意を払いながら管理している。
一方、台湾のRAC社では、走行中の車両の位置やバッテリー1個1個の状態までもが可視化できる運行管理システムを搭載している。このシステムはRAC社のグループ内で開発されたもの。営業所で充電中の車両もモニターで管理できるので、効率的に充電できるというわけだ。こうしたシステムの開発・運用についても、西鉄には検討の余地が残されている。
また、スペースが限られる営業所においては、充電のための場所の確保も必須となる。車両の倉庫としても使われている現在の営業所の敷地内で、いかにしてそのスペースをつくるのか、検討が必要だ。
福岡エリアでは、比較的広い敷地を持つ片江営業所のほか、新たに建替えをおこなった新那珂川営業所にも充電機を増設予定。太陽光エネルギーを利用した発電も可能となる新那珂川営業所には、今年度中に追加導入予定である20台のうちの4台の「レトロフィット電気バス」が導入される予定である。
西鉄グループが保有するバスの台数は、グループ全体で2,382台(うち福岡地区で1,680台)。全体数を考えると、「レトロフィット電気バス」は今のところ「遭遇できればラッキー」という割合だ。
今後、西鉄は2023年度中に追加で20台の「レトロフィット電気バス」を新たに送り出す。さらに2024年度には、34台を導入予定。以降は毎年度、約30台ずつのペースをキープしながら増産する見込みで、2030年度までに約250台の導入を目指す。
「レトロフィット電気バス」が私たちの暮らしの中心となる日は、そう遠くないのかも?!
西日本鉄道株式会社
自動車事業本部技術部 技術課 技術係 係長
2005年に株式会社西鉄エム・テック入社。2019年から西日本鉄道株式会社の自動車事業本部技術部へ。「レトロフィット電気バス」に関わる事業を担当する。