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家族で行った西鉄グランドホテルの
フルコースが忘れられない…
40年前の思い出エピソードが大賞に

家族で行った西鉄グランドホテルの フルコースが忘れられない… 40年前の思い出エピソードが大賞に

2024年12月、西鉄ホテルズは、西鉄グランドホテルの開業55周年を記念し、「西鉄ホテルグループの思い出エピソード募集」を実施した。この企画では、西鉄グループのホテルにまつわる記憶や物語を、写真・絵画・文芸といった表現形式で募集。10代から80代まで幅広い世代から作品が寄せられた。

その中で、ひときわ心を打つ作品として「感動大賞」に選ばれたのが、酒井公子さんの一作「思い出の『レストラン』デビュー」だ。そこで今回は、作品に込められた想いや、その背景について、受賞者の酒井公子さんにじっくりとお話をうかがった。

目次

感動大賞受賞作品「思い出の『レストラン』デビュー」

1942年(昭和17年)、大分県に生まれた酒井さんは、同郷で6つ年上の男性と結婚、2人の子どもに恵まれる。酒井さんは、ご主人の転勤に伴って、広島、大阪と移り住み、最終的に福岡に腰を据えた。今回の作品は、そんな酒井さん一家の福岡での思い出が綴られたものだ。

まずはこの短いエッセイをお読みいただきたい。

感動大賞を受賞した酒井公子さんの作品
思い出の「レストラン」デビュー

夫の転勤で大阪から、ここ福岡に越して来てもう四十年になる。
福岡は、山あり海あり、食べ物もおいしく、何んと言っても人々の人情が厚い最高の土地で、私たちは福岡を終の住み処と定めた。
「食い倒れ」と言われる大阪在住中は、何故か夫は大の外食嫌いで、私達一家は正式なレストランになど行った事はなかった。
その夫が、どうした事か、越して来て始めてのクリスマスイヴの夜、当時、皆が憧れた「西鉄グランドホテル」の最上階のレストランへ、私達を連れて行ってくれたのである。
「さあ、大変!!」始めての社交界デビューの様に私と二人の子供はコチコチになった。
当時四才だった娘は、グランドビアノを奏でる美しいお姉さんの姿に、うっとりと頬を紅潮させ、見ればきちんと靴を揃えて椅子の上に正座をしていた。
うやうやしく運ばれて来たスープと次の料理までの間を知らぬ十才の息子は、声をひそめてそーっと「お母さん、僕は、あのスープだけでは足りません」と、すまなそうに私を見上げた顔を思い出すと今でも切なくなる。
何しろ二人の子供にとっては、始めてのレストランデビューだったので無理もない。
あれから、時は流れて幾星霜。
子供達は、今やすっかりグルメ通になっている。
私はと言えば、その後長きに亘る夫の母の自宅介護が始まり、グルグルと目の廻る忙しさの毎日でグルメどころではなかった。
今はもう「西鉄グランドホテル」も様変りし、私達の思い出レストランも催し物会場となっているらしい。
あのクリスマスイヴの夜、緊張した様子の二人の子供を愛し、気に眺めていた夫も、一昨年天国へと旅立った。
感情表現が余り上手ではなかった夫だったが、遺品の整理中、私や子供達の健康と幸せを祈って書いたらしい写経を発見。
その時何故かあのクリスマスイヴのレストランの光景が蘇り、号泣した。
先日久し振りになつかしい「西鉄グランドホテル」の一階レストランで一人ランチをした。
水の流れる中庭の紅い椿の花を見ていると、「あゝ、ここに夫が居たら……」と急に夫が恋しくなって来た。
ふと見ると一人の品の良い老婦人が静かに食事をしている光景が目にとまった。
「あの方も御主人を、お見送りなさった方かしら?」と思いながら眺めていると、そのお姿が凛として美しく、何んだか神々しくさえ見えて来た。
「そうだ、私もいつまでも夫を見送った淋しさに浸ってなんかいられない。これから前向きに生きてゆこう」と元気が出て来た。
ホテルを後にし、フト見上げた最上階、するとあそこに行けば、亡き夫や可愛かった子供達に会える様な気がして来た。[完]

酒井さんインタビュー①「40年前の西鉄グランドホテルと福岡のまち」

作品に書かれている「40年前の思い出」について、もう少し詳しくお聞かせいただけますか。

酒井さん
酒井さん

40年と書いたのですが、正確には48年前になります。当時はまだ、洋食というのが特別な存在で、家族でレストランに行く機会なんて滅多にありませんでした。今のように、気軽にクリスマスディナーに出かける時代ではなかったのです。私たちにとっても、ホテルのレストランは憧れの場所であり、少し緊張するような場所でした。

酒井公子さん
酒井さん
酒井さん

あの日、タクシーで西鉄グランドホテルへ向かうと、ホテルの正面には路面電車が走っていました。最上階のレストラン「スカイシャトー」の窓からは天神のまちを一望できましたが、今とは様子が違い、周囲には高い建物はほとんどなく、遠くまで見渡せたのを覚えています。

ご主人が食事の場に西鉄グランドホテルの「スカイシャトー」を選ばれた理由は?

酒井さん
酒井さん

子どもたちに「特別な体験」をさせたいという想いだったのだと思います。あのころの子どもたちはフルコースのお料理を食べたことなどありませんでしたから。実際に息子はスープを食べ終えたときに「お母さん、僕はこのスープだけでは足りません」と私の洋服の裾を引きました。

一方の娘はというと、脱いだ靴をきちんと揃え、椅子の上に正座して、グランドピアノを奏でる女性に、うっとりするような顔を向けていました。そんな子どもたちの様子を、主人が愛おしそうに眺めているあの光景は今も目に焼き付いています。本当に宝物のような時間でした。

そうした思い出が、のちの「遺品整理」で思い起こされたのですね。

酒井さん
酒井さん

ええ。一昨年に主人が旅立ったあと、遺品整理をしていると写経が出てきたのです。その末尾にあったのが「妻と子供たちの健康と幸せを祈って」という言葉。私はそれを見て、おいおいと泣きました。

生前の主人は「昭和生まれの明治男」といったふうで言葉の少ない人。晩年の看病の日々でさえ「ありがとう」の一言も聞かせてくれませんでした。けれど、主人は深い優しさを秘めた人だった。その事実を知った瞬間に、スカイシャトーでの情景が一気によみがえったのです。家族でレストランに行き、フルコースをいただいた、一度きりの食事の時間。一生の、キラキラ輝く思い出です。

酒井さんインタビュー②「応募のきっかけ、文筆とのお付き合い」

「西鉄グループの思い出エピソード募集」に応募されたきっかけは?

酒井さん
酒井さん

新聞で募集記事を見たのがきっかけです。広告にあったセピア色の写真が、あの頃の記憶を鮮明に呼び覚ましまして。もう、書かずにはいられなかったんです。

もともと、文章を書くのがお好きだったのですか?

酒井さん
酒井さん

はい。お手紙を書くのが昔から好きで、今回の作品もお手紙のような感覚で、すらすらと書きました。ただ、今回のような応募を本格的にするようになったのは、主人を看病しはじめた8年前からです。お風呂やお食事の介助に追われる目まぐるしい日々の中で、なぜか心が寂しくて……。

主人が眠ったあと、食堂でひとり「この寂しさを誰かに聞いてもらいたいな」と思っていました。それで、新聞のコラムに、私の想いをちょっと送ってみようかしらと考えたのです。そしたらなんと、初めての投稿が掲載されたのです。

それを聞いた主人は、病床の中から細い手を出して私の手を握り「公子、よかったな。よかったな」って喜んでくれました。それからというもの、本を読んだりエッセイを書いたりすることは、私の人生の楽しみとなりました。

これからの活動について、お聞かせいただけますか?

酒井さん
酒井さん

はい。受賞のお知らせをいただいたとき、西鉄グランドホテルさまに宛てたお礼状に「100才まで生きます!」なんて書いてしまいましたけれど、元気なうちは、ボランティアや文筆活動を続けていきたいと思っています。

酒井さんが西鉄グランドホテルへと宛てたお礼の文

勤続45年の松本さんが語る、西鉄グランドホテル

株式会社西鉄ホテルズのマーケティング戦略部 商品企画担当部長の松本憲治さんは、ホテル業界で45年勤務し、時代とともに移り変わる天神のまちとホテルを見守ってきた。松本さんは、酒井さんの作品を読んで感じたことを、こう話す。

松本さん
松本さん

最も印象に残っているのが「遺品整理をされている酒井さんが、涙されるシーン」です。この描写は、私をはじめ、審査に関わった人々の心を強く打ちました。私は45年間ホテルで仕事をして、多くのお客さまの人生のドラマを垣間見てきました。そんな私も、酒井さんの作品に触れることで、ホテルという空間が「人々の人生の一部になる」になることを、あらためて実感させていただきました。

西鉄グランドホテル 松本憲治さん

当時の西鉄グランドホテルは、どのような存在だったのでしょうか?

松本さん
松本さん

西鉄グランドホテルが建っているのは、もともと西鉄の本社があった場所です。当時、このあたりにはホテルがありませんでしたので、福岡の経済界は「これから増えていく外国人のゲストをお迎えするための『特別な場所』が必要だ」と考えて、このホテルを建造しました。福岡で唯一の洋食レストラン「スカイシャトー」はこうして誕生したのです。

「スカイシャトー」内観写真
松本さん
松本さん

スカイシャトーはもうありませんが、今でも西鉄グランドホテルは、福岡経済界の社交場です。様々な会合が毎週のように行われています。これらの会場でよく耳にするのが「幼い頃にスカイシャトーに連れてきてもらった」というお話で、みなさま口々に「あの時の味が忘れられない」とおっしゃってくださっています。

スカイシャトーで提供していたコースメニュー
松本さん
松本さん

ちなみに、スカイシャトーで提供していたお料理のコースは、11品仕立てだったと記録に残っています。一般的なフルコースが6、7品ですから、かなりボリュームのある構成ですね。その値段が1万5千円とありますから、当時の貨幣価値に換算すると相当に高価な食事だったことと思います。

当時の料理は今も提供されているのでしょうか?

松本さん
松本さん

西鉄グランドホテルは「伝統を重んじる」気風を大切にしています。そのため、55年間変わらないクラシックなメニューをいくつか残しています。「ビーフシチュー」や「カレー」をはじめ、平目をクリームで仕上げた料理「ボンファム」、「テルミドール」「プリン・ア・ラ・モード」など。創業当時のレシピや調理工程を今もきちんと守っています。多くのお客さまから「グランドホテルの料理はおいしい」と評価をいただいている背景には、積み上げてきた歴史があるんです。

人々の特別な場所であり続ける「西鉄グランドホテル」

ホテルのロビーを見渡し、「大英帝国を思わせる落ち着いた雰囲気、上品な風情をこれからもずっと残していってほしい」と願った酒井さん。「お客さまの人生のドラマにそっと寄り添うことがホテルマンとしての生き甲斐」と語る松本さん。

人々の想いが交差する「西鉄グランドホテル」では、今日もまた、新たな思い出が静かに育まれている。

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