2025年春に開業予定の「ワンビル(旧福ビル)」。偶発性と多様性に満ち、新しいアイデアに出会える【創造を生み出す場】となることを目指してつくられた「創造交差点」というコンセプトを核に、再開発が進行中だ。
「ワンビル(旧福ビル)」の開発に携わるキーパーソンたちに思いを語ってもらう本シリーズ。今回は、「ワンビル(旧福ビル)」の外装デザインと内装デザインの一部を手掛けたKPF(コーン・ペダーセン・フォックス)の眞壁光さんにインタビュー。天神開発本部福ビル街区開発部課長・永井伸さんを聞き手に、デザインのプロセスや信条、福岡への想いを語ってもらった。
KPFが拠点を置くニューヨークをはじめ、世界各地で建築設計を手掛けていらっしゃいます。仕事のうえでは、どのような信念を大切にされているのでしょうか?
いろんな人に出会って刺激を受け、そこにふさわしい、その場にしかない「one and only」なものをつくること。用途を考えながら、けっして“無理をしない”建物になるよう考えています。
代表的な作品についていくつかご紹介ください。今日のインタビュー会場となった六本木ヒルズについても!
私の信条を表現するような仕事をいくつかご紹介します。
ひとつ目は、2003年3月に竣工した「六本木ヒルズ」(東京都港区)。私がまちづくりのビジョンについて学んだ最初のプロジェクトでもあります。
「ここに住んで、働く人々のためにまちをつくりたい」というクライアントの想いに共感してデザインしました。早いもので、開業してもう20年になります。
年月を経ても色褪せないかっこよさがありますよね。
もうひとつは、「COREDO(コレド)日本橋」(東京都中央区)。この時は、建物のディテールをとことん突き詰めました。外壁に使った石の素材は、イタリアに足を運んで現地の石材店と仲良くなって実現したものです。
一方で、自然環境を活用した長野県の「The INCS Zero Factory」も印象的なデザインです。
長野県の茅野という、八ヶ岳の麓にある生産工場です。緑に囲まれた景観を見て「建物の高さが木の高さに勝ってはいけない」と考えました。そこから、自然環境に溶け込むデザインを模索して、地下にスペースをつくることにしました。
稜線に寄り添うような、美しい景観です。
ラスベガスの「シティ・センター」のプロジェクトも、印象深い建物のひとつです。
カジノホテルやコンドミニアム、エンターテインメント施設からなる統合型リゾートで、当時全米で最大級の再開発とうたわれていました。私が手掛けたのはマンダリン・オリエンタルホテルで、ラスベガスの喧騒な雰囲気と相対して、落ち着いたコードヤードやスカイロビーなどをデザインしました。
ロンドンのビクトリアストリートにある「105 Victoria」は、現代で言う「city within the city」です。ロンドン中心街にあり、歴史のある街並みに溶け込むようにデザインしました。
周囲にはたくさん学校があり、誰もが使える共有施設をたくさん作っています。テラスのデザインもどんどん進化していって、最近手掛けた中でも特におもしろい仕事になりました。
また、ロンドンで現在進行中の別のプロジェクトでは、徹底的にサステナビリティを追求しています。素材などの環境面だけでなく、使う人にもやさしい設計が世界中で求められていると肌で感じています。
建築を志したきっかけは?
父方のドイツの叔父の家がケルンにあり、日本の大工さんが建てた日本家屋だと聞いて建築に興味を持ちました。
また母方の叔父は、私の生まれた1971年に渡米し、私にとってつねに刺激的な存在でしたね。
「自分のアイデンティティを持ちなさい」と言われたことが今でも心に残っています。「高校を卒業したら、(自分のいる)アメリカに来たら」と誘ってくれたりして。
眞壁さんをやさしく導いてくださるような存在だったのですね。
その後、建築の道に進んだわけではなく、大学では経済の道を志しました。ただ、「自分がやりたいことは何だろう」と自問する日々が続いて……。叔父だけを頼りにアメリカに渡り、大学で建築の勉強をすることにしたんです。
大きな決断でしたね。それから、どのような経緯でKPFへ?
1996年の夏、大学生の時インターンシップに参加したのがきっかけでした。その頃、創設者でもあるデザイナーのウィリアム・ペダーセン(William Pedersen)に気に入られて、上海のSWFCのプロジェクトに同行していたんです。
その後1997年にオクラホマ州立大学で建築学士号を取得して、その年にKPFに入社しました。入社後は、フェローシップでスカンジナビアに6カ月滞在して建築を学んだ後、早い段階でシニアデザイナーとして「COREDO日本橋」を手掛けることになりました。
改めて、眞壁さんはユニークな経歴の持ち主ですよね。また、建物の設計だけにとどまらず、周辺地域や都市全体のことなど、もっと深い部分にまで思考を巡らせて建物をつくられているように感じます。
そうですね。まちを変えることによって、より良い暮らしや働く環境につながると考えています。六本木ヒルズなどから学んだまちづくりの考えを、さまざまな国で展開しています。
住む環境や働く場所、緑との関係など、私の経験を凝縮していくと「ワンビル(旧福ビル)」に近づいていく気がしています。
うれしい「ご縁」ですね。
人との出会いは大きかったですね。かと言って、私は積極的に営業をするタイプではなく、すべて人との縁でつながっています。
クライアントと直接話せたほうが、相手の考えや望みがわかるし、共感も得やすくなる。対話がとても重要だと実感しています。
最近では中東のネットワークが広がって、ドバイやアブダビの仕事が増えました。ニューヨークに拠点があるからこそ世界を舞台にできるのは、とてもラッキーだと思っています。
「ワンビル(旧福ビル)」の仕事にあたり、福岡に何度か足を運んでいただきました。福岡のまちを見て、いかがでしたか?
いちばん印象的だったのは、鋳鉄のマテリアルが使われた天神地下街です。「この雰囲気を地上に持っていきたいな」と思いました。また、まちの緑がとても豊かなので、建物にぜひ取り入れたいと感じました。
外装の設計ではどのようなことを大切にされましたか?
まずはデザインコンセプトを設定しました。「アーバンルーフ」「アーバングリッド」「アーバンオアシス」の3つです。
なぜこのキーワードが導き出されたのですか?
ビルのコンセプトが「創造交差点」と聞いて、おもしろいなと思いました。福岡のまちを歩いていると、和やかな雰囲気を感じとれます。「創造交差点」で人々が交流しているイメージがすぐに思い浮かび、商業施設やワークプレイス、コワーキング施設、ホテルなど、すべてが混ざり合っている様子が目に浮かびました。
異なるグリッドでかけ合わせられることによって、ひとつの「アーバングリッド」となる。そこに、緑を散りばめていけば良い環境になると確信しました。
外装以外に、1階のグランドロビー、6階のスカイロビーなど主要な共用部も眞壁さんにデザインしていただきました。他では見られないにぎわいと交流を生み出すデザインに仕上がり、ビルとしての魅力が高まっていることを実感しています。
すべてが「創造交差点」というコンセプトにつながっています。場所を提供すれば人々は集まってくる。天神には地下鉄と西鉄天神大牟田線が走っているので、地下からと1階からの導線を考えながら、天神らしさを出したいと考えました。
エントランスのデザインは、グリッドを強調したものにしました。6階のスカイロビーは商業施設、オフィス、コワーキング施設、ホテルの利用者が交わる場所で、オープンなスペースにしたいと思ったんです。なにせ、卓球台を置くアイデアも出したほどですから。
音楽を演奏できる空間があってもいいし、座れる場所があってもいい。そこから「座れる階段」を提案しました。空間としてはそれでいったん完成しますが、「こう使ってほしい」と決める必要はなく、利用する人々によって進化していくものだと考えています。
実際に、どんな建物も常に進化しています。内装や規格は時代とともに移り変わりますが、使う側が想像力をもって変わっていけばいい。ある程度フレキシブルで、いろんな機会が提供できる場であってほしいですね。
今回のプロジェクトに参画されて、なにか他の案件と違う特徴をお感じになりましたか?
プロジェクトを進めるなかで感じたことのひとつは、企業間の垣根が低いことです。「因幡町通り」のファサードをどうするか考えているときに、隣接するビルを管理する福岡地所さんと会話しながら進めようとしていることを知って、とても驚きました。福岡地所さんは、西鉄さんにとっては競合会社ですよね。
「因幡町通り」は静かな通りですが、福岡地所さんと手を組んで開発すればきっと良い空間になると思います。
因幡町通りに対して開かれた建物にすることで、ヒューマンスケールで歩いて楽しいストリートになると思います。
また、西鉄のみなさんが、ものすごく探求心があることにも驚きました。いいものはみんなでシェアしながら、常に新しいものを求めている。仕事をしながらかなり会話を交わしたし、質問もたくさん飛んできます(笑)。
会話を重ねると、デザインもどんどん良くなっていく。本当に楽しい時間でした。
ありがとうございます。それぞれの担当者がいろんな思いを持っていますからね(笑)
トップダウンだと仕事自体はやりやすいのですが、「みんなで話し合ってものづくりをしたい」という考え方がよくわかりました。それは「福岡らしさ」なのか、あるいは「西鉄らしさ」になるのでしょうか。とにかく、私にとっては新鮮な体験でした。
プロジェクトに参加して、眞壁さんご自身にはどのような刺激や影響がありましたか?
私にとっては、世界各地の仕事をする場で、人と出会うことがいちばんの刺激です。クライアントや関係者との対話の一つひとつが勉強になっています。今回の「ワンビル(旧福ビル)」チームからも、大いに刺激を受けました。
その場ならではの、作りたいものを思い描くことができたらいいですよね。また、建物が完成したら、「関わる人みんなのための場所になれば」といつも願っています。
他にも、今回、ホテルの内装デザインを担当されたNAPさんとご一緒しておもしろかったのは、私たちとは違う考えやアプローチに出会えたことです。エントランスの考え方も、刺激があっておもしろかったですね。
何度も対話を重ねて、最終的な決定に至りました。こうしてコラボレーションすれば、より良いものができると私たちも考えています。
福岡では初めてのお仕事。福岡の雰囲気は、どう感じましたか?
福岡らしさって、「人」ですよね。みんなすぐに仲良くなって話すし、馴染みやすい雰囲気を感じました。
空港から都心部までは近く、住環境がすごく良い。食文化が多様なのも楽しいですよね。東京が「世界の顔」になるまちだとすれば、福岡は「アジアのハブ」になるまち。将来的に、もっと発展していくと可能性を感じています。
最後に、2025年の開業後、「ワンビル(旧福ビル)」がどのような場所になっていてほしいですか?
みんなが「使いたい」と思える、コミュニティに属した建物になってほしいと思います。ランドマーク性が出てきたら幸せですね。20年、30年と時間が経っても集客力があり、住む人が「楽しい」と感じられる場所になるように。
ともあれ、今回のプロジェクトは、これまでの私の実績の中でも特にお気に入りの仕事になりました。
そう言っていただけてうれしく思います。完成が楽しみです!
Kohn Pedersen Fox Associates PC, Principal
米国建築家協会会員 英国王立建築家協会会員
オクラホマ州立大学建築学部Advisory board member、ハーバード大学建築学部講師
1971年生まれ。1991年に渡米し、1997年オクラホマ州立大学 建築学士号取得。同年よりKohn Pedersen Fox Associates PC(KPF)に入社し、現在はKPFのデザインプリンシパルを務め、アメリカ合衆国、ヨーロッパ、中東、そしてアジアの世界各地にて作品を手掛けている。その分野はオフィスビル、ホテル、複合施設、工場、超高層ビル、マスタープランなど幅広い。
【受賞歴】Caudill Travelling Fellowship, Outstanding 50 Asian Americans in Business Award,
米国建築家協会賞、CTBUH賞、MIPIM賞、BCS建築家協会賞など
西日本鉄道株式会社
天神開発本部 福ビル街区開発部 課長
長年天神の街づくりに従事。現在は福ビル建替プロジェクトのオフィスやスカイロビー、ホテル計画を担当。