2025年春に開業予定の「ワンビル(旧福ビル)」。ビルのコンセプトは「創造交差点」。偶発性と多様性に満ち、新しいアイデアに出会える【創造を生み出す場】となることを目指してつくられたこのコンセプトを核に、再開発が進行中だ。
このシリーズでは、「ワンビル(旧福ビル)」の開発に携わるキーパーソンたちに思いを語ってもらう。
中村拓志&NAP建築設計事務所の中村拓志さんは、18・19階に計画されるホテルの内装デザインを手掛けている。
中村さんが福岡・天神のまちに描く「創造交差点」とは? また、どのような魅力を持ったホテルが天神の空に生まれるのか?
西日本鉄道株式会社 天神開発本部福ビル街区開発部の課長・永井伸さんを聞き手に、デザインのプロセスや考え方についてインタビューした。
自然現象や人々のふるまい、心の動きに寄り添う「微視的設計」を掲げるNAP建築設計事務所。国内外で活躍する建築家・中村拓志さんは、どのような信条を持って建築に向き合っているのか。
中村さんの建築家としての信条を、あらためて聞かせていただけないでしょうか?
私たちは、自然現象や人々のふるまい、心の動きに寄り添う「微視的設計」に基づいて、場所性や利用者に合わせた、「その場所にしかない建築」をつくりあげていきます。そこには毎回、創造的な出会いがあります。
その土地に住む人に会い、産業を見て、まちを支えてきた職人さんとも話します。こうした数々の「出会い」が、私自身の創造性を育んでいます。そうした楽しみが刺激となり、自身の成長にもつながっています。
すばらしい「出会い」ですね。
【自然と人間の関係】も大事なテーマです。私たちは自然を尊重し、寄り添う建築を目指しています。自然のほうが人間より上位にあるという感覚を人々に喚起していきたいとも思っています。
日本人は元来、自然の中に「神性」を見ながら暮らしてきました。その「神性」を、現代の中に再現していきたいと考えています。
「ワンビル(旧福ビル)」の場合も同じです。豊作を祈る時の自然への祈りが、人々の「天神さま」への信仰をつくってきました。そうした感性が、天神の「創造交差点」にも欠かせないと考えました。
中村さんは、「ワンビル(旧福ビル)」内のホテルのデザインをどのように進めていったのか。そのプロセスを紐解いていく。
人と人との出会いや交流といった体験そのものがホテルを訪れる目的となる、ハイクオリティなライフスタイルホテルを目指しました。宿泊者以外、特にローカルの人々にも使ってもらいたいですね。さまざまな出会いをどうつくるかを意識しました。
ホテルはオフィス以上に多種多様な人々が交差し、出会う場所です。「ホテルの成功がプロジェクトの成否に関わる」という意識で携わっています。
率直に聞きますが、仕事は進めやすかったですか?
そうですね(笑)。ロビーも客室も、かなり思い切った提案を受け入れていただいたと思っています。
館内の廊下は、従来はただ無味乾燥な通路であることがほとんどでした。今回のプロジェクトでは、客室側に「アンテルーム」という前室をつくりました。そこはパソコン作業や商談もできるような書斎兼リビングです。窓の向こうには中庭が見えます。通常客室はプライバシーを重視するので、廊下に窓というのは、あり得ない構造です。
その通りですね。
最初は否定されるのではないかと思っていたのですが(笑)。受け入れていただき、大変うれしく思いました。内心、ホテルの歴史が変わるほど思い切った提案ではないかと思っています。
廊下はさまざまな人が「何か」を感じられる「交差点」である。そんな素敵な空間が、今まさに完成しつつあります。
デザインのキーワードとなった「天神さま」についてもお聞かせいただきたいと思います。
通常私たちは仕事の依頼を受けると、まずはその土地の歴史を徹底して調べます。名所に足を運んだり、博物館や資料館に行ったりして調査することもあります。
「ワンビル(旧福ビル)」の場合は、第一に、九州を代表する繁華街天神の中心部に位置する交差点であること、さらに、日本の歴史に深く関係する太宰府に縁深い菅原道真公も「天神さま」と呼ばれていることを知りました。
なるほど。
学問に長けた道真公のもとに、クリエイティブな人々が集まり、廊下まで溢れかえったという「菅家廊下」の逸話に触れたとき、その光景に「創造交差点」を見た気がしました。
憩いのスペースにテーブルやイスがあり、さまざまな人が交差する。そんなセミプライベートな場所で、創造性を喚起したいと考えがまとまったのです。
その昔、「天神さま」への信仰は、天をあがめ、豊作を祈る自然への崇拝として生活に息づいていました。ところが現代では、都市に住むと空が遠くなり、「見上げる」というふるまい自体を私たちは失いがちです。
ふと空や雲を見上げた時に感じられる「神性」を、ホテルで再現できないかと考えてつくったのが、パブリックエリアの「水鏡」です。道真公が福岡に上陸した際、現在の薬院新川に自分の姿を映したという言い伝えをヒントにしました。
「ホテル」という言葉から、実は私たちは「洋」のデザインをイメージしていたのですが、なぜ「和」の要素を取り入れたのでしょうか。
「洋」か「和」の二択ではなく、自分たちの起源を意識することが大切だと考えています。中でも、自然に対する日本人独特の感性は世界に対して誇れるものです。環境問題やSDGsが重要視されるこれからの世界において、アピールしていくべきと感じています。
そうした古来の感性を引き出すために、日本の伝統的な建築様式はまさにその総体であると言えます。例えば「障子」。木や竹、紙といったやわらかな素材が、人間の身体に近い場所にあります。こうした素材が一つの自然として、身体に関わっていく。新しくできるホテルでも、それを体感してもらえると思います。
プロジェクトを進める中で、最近あらためて中村さんのその選択が正しかったと実感しています。まさに「ここでしかできない建築」ができあがりつつあるな、と。
これまで手掛けてきた仕事の中でも、中村さんの信条と思いに触れることができる。
Dancing trees, Singing birds
東京の都心に建つ集合住宅。一等地でありながら、敷地奥の傾斜地には高さ15メートルほどの木が茂り、40メートルにわたって林が残っていた。
普通なら更地にするところですが、これらは貴重な木々です。「切ってはまずい」と思い、極力伐採せずに、容積を最大限確保することにしました。
まずは、樹木医と協働して根の位置を調査した。太い根を切断せずに済む、ぎりぎりの位置に構造壁を設定。どうしても根に当たってしまう地中梁は、蛇行させて避けた。
次に、直径15センチ以上の枝を独自に開発した方法で測量し、枝をコンピューター上で三次元化。木の成長や強風時の枝の揺れをシミュレーションして、枝の及ばない空隙を割り出し、そこに部屋をはね出す造りにした。
部屋の外形は少々いびつになりましたが、それは自然の環境をあるがままに受け入れた結果です。都心でありながらまるで森の中に住んでいるようで、森をシェアすることが「付加価値」となりました。
自然を尊重する環境保全の方針と、容積最大を希求する資本主義。これらは相容れないものだと思われがちですが、私たちは双方をブリッジしてつなぎ、よりよい方向に導きたいと願っています。
デザイナーが建築の形を決めるのではなく、建築が木に寄り添うことで形が事後的に決定する。そうして自然と生活は近しい関係になり、私たちのふるまいが決まっていく。
自然を尊重してできた空間をどう使うかを考えていく過程にこそ、豊かさがあるのではないでしょうか。
狭山湖畔霊園管理休憩棟
街から森へ至る坂の中腹にある「狭山湖畔霊園管理休憩棟」。休憩棟の軒は極端に低く、風景に馴染むような平屋になっている。
外周部には、日常の世界に対する結界としての水盤を。その内側には、休憩室や食事室などの客用スペース、中央に事務系諸室が配される。
室内にはダウンライトを一切入れず、水盤からの反射光で照度をとる設計だ。この時水盤は、照度を担保する機能的な役割以外に、「動きを与えるもの」として建築とともに存在する。
「故人に語りかける時間をどのようにしてつくるか」がテーマでした。風となった人が語りかけてくるように。周囲には美しい風景がありますが、哀しみの中にいる人に寄り添う「まぶた」をイメージし、あえて軒を内部床から1.35mの高さとしています。
開口部の周囲にはベンチがあり、疲れた体を休めるように建築が促します。そして座って初めて遠くの景色が見渡せて、過去の記憶、あるいは未来について思うことが可能となります。
建築は動かないし、重たくて、つくるのにも時間がかかります。著しいスピードで変化する現代において、遅れたメディアなのかもしれません。しかしだからこそ、動くものが輝きを放つのです。季節や時間によって移ろいゆく自然は愛着を持つべき存在であり、姿を変えながら私たちに語りかけてきます。
Ribbon Chapel
広島県尾道市のリゾートホテル「Bella Vista SPA&MARINA ONOMICHI」の礼拝堂で、結婚式での利用がメイン。瀬戸内の島なみを360度見渡す、小高い山の中腹にそびえ建つ。礼拝堂内は木漏れ日が差し、展望台からは瀬戸内の穏やかな景色を眺めることができる。
コンセプトは「結び合い」です。ふたつの不安定な螺旋階段が互いに支えあうことで自立する構造は、結び合う行為を空間化したものです。その構造を、新郎新婦にも重ね合わせました。もとは別々だったふたりの人生が、実は運命の糸の上でつながっていたということを表現しています。
祭壇への経路は人生の軌跡に例えられ、さまざまな回想や感情が込められています。螺旋階段を上る行為は、今日、ここで結ばれるという、高揚感を誘います。
見つめ合いながら、すれ違いながら、それぞれの道を歩むなかで交わる場所。そんな新郎新婦の胸の高鳴りや参列者の思いに寄り添うことを目指しました。
中村さんは、どのようにして現在の建築の手法にたどり着いたのか。これまでの足跡の中で中村さんが見てきた風景や得てきた体験の中に、その答えがあるかもしれない。
中村さんの建築へのスタンスや考え方には、これまでの人生がどのように関わってきたのでしょうか?
大学・大学院で建築を学んだ後、隈研吾建築都市設計事務所に入りました。学生時代から問題視していたのは、「マスを想定した建築」は、いろんな人が使えるように、「人を平均化して見てしまう」ということです。
そのために、設計者はそこに行き交う人々の感情まで見ることはありませんでした。「建築と人の距離が遠いな」と、疎外感を感じていました。
そうだったんですね。小さい頃、金沢や鎌倉で過ごした時間と、東京的な建物のギャップを感じたこともあったのでしょうか?
あるかもしれません。小さい頃は、ツリーハウスや段ボールハウスが身近にありました。手を伸ばせば届くものをつくるのが楽しくて、建築家になろうと思ったのです。その意味で、私にとって建築は洋服に近い存在だと思います。
「建築」と言えば「箱」を想像すると思いますが、私は多様な層の重なりと捉えています。最初に皮膚層が私たちを覆い、次に洋服、建築、塀の外には都市があり、対流圏やオゾン層が広がっている。建築はこうした層のひとつで、その中にも内装、気密シート、断熱層、外装といった様々な層があります。
私は建築を皮膚層や服地層のように、もっと身体に近い存在として考えたいのです。皮膚や服地の延長にある建築は、身体と建築の間に豊かなコミュニケーションを生むはずです。皮膚が微かな気流や気配を察知して感覚へと繋げるように、あるいは服が身体とゆるやかに寄り添い、生地や仕立てが感情に作用するように、身体に近い建築は、「皮膚感覚」や「心地」といった曖昧で繊細な感覚を拾い上げることができるはずです。
そのうえで、その場所にあるべき個性をつくり、居心地の良さも約束する。
この観点からも、「創造交差点」というコンセプトには強く共感しました。人々が行き交い、ふるまいが見える。「身体」と「都市」という、相反する存在を視野に入れながら、都市を内包する空間をつくろうという、すばらしいコンセプトだと感じました。
中村さんは、福岡という場所をどう捉えていますか?
飛行機が上空をまっすぐに通り過ぎる都市でありながら、「大濠公園」のような緑が都市部にあり、人々に愛されています。少し行けば糸島のようなリゾートがあり、都市的利便性と自然が近接していると感じます。これはクリエイティブな人々が集まる条件とされています。
今回のプロジェクトは、中村さんにとって刺激はありましたか?
永井さんをはじめ、プロジェクトチームの皆さんとはいろんな議論をさせてもらいました。
正直、これほど大型の施設でこのような進歩的空間が実現できるのが驚きでした。いろんな歪みや課題、葛藤に日々向かっているところですが、こうして携われることは大きな刺激であり、勉強にもなっています。
ありがとうございます。「多様性」と「偶発性」を大事にしたいので、プロジェクト自体にさまざまなプレイヤーが関与しています。葛藤がありながらもうまく進んできたのは、「創造交差点」のコンセプトに共感を持つ人が集まってくださっているからだと感じています。
その通りですね。ぶつかり合いながらも、忌憚なく意見交換ができる。この規模で建築を進める難しさは知っているので、大変ありがたいことだと思っています。できあがりが楽しみだし、利用する人がどう使うのかも楽しみです。
ホテルを運営するのは、国内外で刺激的なスモールラグジュアリーホテルを展開し、福岡市では「ウィズ・ザ・スタイル」や「ザ・ルイガンズ」ブランドのホテルを運営する「Plan・Do・See」(東京)。国内外で華々しい実績を持つパートナーとの協業は、中村拓志&NAP建築設計事務所や西鉄にとってどんな効果をもたらしたのか。
「Plan・Do・See」さんとの協業についてはいかがですか?
彼らのすばらしい点は、アイデアを絶対に否定しないことです。まず受け入れるところからスタートして、可能性を考えてくれるので、建設的に議論できます。
にぎわいのつくり方は、まさに「天才」。人々が集いたくなる空間のつくり方をわかっていて、賑わいを凝縮させていくことで、人が人を呼ぶことを彼らは知っています。本当に勉強になりました。
徹底した顧客主義も「Plan・Do・See」さんの強み。何があればお客さまはうれしいのか、どう声をかけたらいいのか。それを読む力に長けていますよね。そうした点では中村さんと共通点があると考えていましたが、いかがでしょうか?
“ふるまいのデザイン”が本当にうまいです。すごいですね。
レストランの奥には「シェフズスイート」と呼ばれるキッチン付きの客室を計画しています。デザインにあたっては、どんなやり取りがあったのですか?
「Plan・Do・See」さん達と、「レストランの中に客室があったらどうだろう?シェフが料理をしに来てくれたらもっとリラックスした雰囲気になるし、食事後すぐに寛げる」なんて話していて、実現に至ったものです。
また、メインダイニングは、厨房で食事しているような雰囲気にしたかったのです。天神の屋台のようにもっとゆるやかに、食べる人と作る人が交差する場所にしたいと思いました。料理を作る人も、食べて味を発見して評価する人も、ここではクリエイティブな存在です。その空間をどう創りあげていくかを考えてきました。
レストランと客室の境界線を解き、本来は隠すべきである「通路」を、活気ある場所にするなど、さまざまな議論を積み上げ、今回実現できました。すると、彼らもさらに斜め上の提案をしてくるんですよね。「客室までワゴンでおつまみを売りに行くのはどうか?」とか(笑)。
ははっ。おもしろいですね!
「ワンビル(旧福ビル)」が開業するのは2025年春の予定。誕生後、天神の新しいシンボルはどのような空間になり、機能していくのか。対談の締めとして、「ワンビル(旧福ビル)」が担うべき役割について議論を交わした。
中村さんは、新しくできるホテルがどのような場になってほしいですか?
ひとことで言うと、愛されてほしいですね。かつ、出会いの場になってほしいです。そうなることで、自分たちの住んでいる場所が特別な場所だと気付けるようにもなると思います。
さまざまな情報がシェアされ、世界との“距離”が近づいていく現代社会において、自分のバックボーンに自信を持つことが、今後とても大事になってくると思うのです。その上で、世界に発信できる何かを創造していくことが重要です。
そして地元の人に愛されることで、結果として世界の人が訪れる場所になる。内なるものを見て、内発的に拡大していくイメージです。
世界中が均質化し、観光が産業化されるなか、もっと地元の本質的な文化を知る場所や地元の人々と触れ合う機会が求められています。ローカルなカルチャーの媒体となるホテルが、これから増えていくのではないでしょうか。
クリエイティブクラスが集まる場になればと、私たちも期待しています。
都市的利便性とともに、自然的な美しさを感じることができる。人々が交わるパブリックスペースがあり、「天」とつながりながら飲食ができる開放的なダイニング。「ワンビル(旧福ビル)」はきっと良い場所になるはずです。
中村拓志&NAP建築設計事務所
1974年東京生まれ。鎌倉と金沢で少年時代を過ごす。1999年、明治大学大学院理工学研究科建築学専攻博士前期課程修了。同年隈研吾建築都市設計事務所入所。2002年 NAP建築設計事務所を設立。現在はNAPコンサルタント、NAP International、NAPデザインワークスの代表も務め、街づくりから家具まで、扱う領域は幅広い。
受賞歴:日本建築学会賞(作品)、日本建築家協会環境建築賞 大賞、日本建築士会連合会 建築作品賞 大賞、ARCASIA Awards for Architecture 2016, Building of the Year、LEAF AWARDS 2015, Overall Winner、WAN Sustainable Buildings of the Year, Winner ほか多数
著書・作品集:『微視的設計論』LIXIL出版、『地域社会圏モデル』(共著)LIXIL出版、『JA114,Summer 2019:Hiroshi Nakamura & NAP中村拓志』新建築社ほか
西日本鉄道株式会社
天神開発本部 福ビル街区開発部 課長
長年天神の街づくりに従事。現在は福ビル建替プロジェクトのオフィスやスカイロビー、ホテル計画を担当。