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ファッションビルに焼とり店?
八兵衛のソラリアプラザ出店は
レストラン街の革命だった

ファッションビルに焼とり店? 八兵衛のソラリアプラザ出店は レストラン街の革命だった

商業施設で焼とりを楽しむ――現在ならば、ごく普通のことだが、今から9年前の2014年、福岡市天神のソラリアプラザに『焼とりの八兵衛』が出店したとき、「ファッションビルに焼とり?」と驚く人もいた。しかし、いざフタを開けてみると……。

目次

幹部・スタッフ全員から反対されての出店だったが大盛況

1989年にオープンした「ソラリアプラザ」は、2013年から大規模なリニューアルを進めていた。6階の飲食ゾーンの刷新もその一環で、2014年5月に『SOLARIA Dining』としてグランドオープン。糸島市前原で創業し、福岡から東京、そして世界へと“福岡の焼とり”を広めた『焼とりの八兵衛 ソラリアプラザ店』は、改装の目玉となる店舗の一つだった。

初日から店は大賑わいだった。女性客を中心に、連日、行列ができる繁盛ぶり。店舗を運営する株式会社hachibei crew(ハチベイクルー)の八島且典社長は、当時をこう振り返る。

八島社長
八島社長

オープンからしばらくは、それほど集客できないだろうと考えていました。じっくりと時間をかけて口コミで存在が知られていけばいいな、と。ところがオープンからずっと客足が途切れない。「すぐに落ち着くから」と少人数で切り盛りしていましたが、客数が落ちることはありませんでした。

実はソラリアプラザへの出店について、八島社長の周囲はほとんどが反対だったという。なぜか?一つはリニューアル前の飲食ゾーンが集客に苦しんでいたこと。

八島社長
八島社長

実は私自身、よく訪れていたんです。並んだりしなくてよくて使いやすかったから(笑)。誰が見てもわかるくらい、集客力は落ちていましたね。

もう一つは商業施設に焼とりという業態がミスマッチにならないか、という懸念だ。

八島社長
八島社長

焼とりといえば赤ちょうちんに、モウモウとした煙。男性客中心のイメージですよね。八兵衛は、そうした店ではなかったものの、ファッションビルを訪れる人が焼とりを選択するのか。そこは未知数でした。

青春の思い出「福岡スポーツセンター」があった場所

さらに財務面で厳しい状況にあったことも、幹部社員が出店に難色を示す理由だった。2008年に出店した六本木店の不振に苦しみ、そこから脱しかけた2011年に東日本大震災で再び赤字に。同年の12月に起死回生を図って出店した六本木ヒルズ店も売り上げが伸び悩んでいた。

八島社長
八島社長

八兵衛は倒産の危機と言っていい状態でした。そこにきて、商業施設への出店。しかも、店づくりに常識的な金額の3倍を掛ける覚悟をしていましたからね。一度も私に反対意見を言わなかった幹部が「今回ばかりはなんとしてでも社長を止めるべきじゃないか」とずいぶん悩んだそうです。

それでも八島社長には勝算があった。

八島社長
八島社長

生意気な話なんですが、当時の私には店舗デザインのスタジオムーン・金子誉樹氏が設計した店で、私自身が焼とりを焼けば、どんな場所でも絶対に繁盛させられるという自信がありました。そして、もう一つ、出店場所が他でもないソラリアプラザだったからです。

八島社長が世界で最も愛するまち。それが天神だ。ニューヨーク、パリ、ロンドン、上海、北京、そして東京。どの国のどのまちよりも、八島社長は「天神にいる時が一番、ワクワクする」と言う。そして、ソラリアプラザが建っている場所は、以前、西鉄グループが運営する「福岡スポーツセンター」があった場所――。

八島社長
八島社長

子どもの頃はスケートで遊び、高校生、大学生の時は映画館の『センターシネマ』でリバイバル上映を何度も繰り返し見ました。ソラリアプラザの南側から望める警固公園にも青春時代のたくさんの思い出があります。ここならば、少々、きつい目に遭っても、絶対に逃げださないと思いました。なにせ、毎日、ここに通う自分をイメージするだけで楽しくなった。

八島社長は理想のデザインを追求。納得のいく店が出来あがった。

八島社長
八島社長

六本木ヒルズへの出店で、商業施設でうまくいかない経験は、いやというほど積んでいたので、そこを一つひとつ潰していけば、活路は開けると確信していました。ただ、もし今、同じ決断ができるかと言えば……。あの頃は命懸けで前進しましたが、冷静に考えれば不確定要素が多すぎますよね。ソラリアプラザにとっても焼とり店の誘致はリスクだったと思います。

商業施設のラインナップを変える「八兵衛」のインパクト

では、ソラリアプラザはなぜ八兵衛を選んだのか。

当時のリーシング担当者は「あの頃、苦しんでいたのは夜の集客でした。商業施設でありながら、ゆっくり美味しいお酒と食事が愉しめる。そんな飲食フロアにしたいと思いを巡らす中で、関東圏の店舗も検討しましたが、やはり地元の名店を呼びたい、と。福岡、夜、旨い店……辿り着いたのが八兵衛だったんです」とおしえてくれた。

八兵衛には最初、飛び込みで訪問。その後、数十回足を運んで契約に至った。「他の店ではなく八兵衛しかない!」という思いを伝えた。対する八島社長は、西鉄の思いを意気に感じたという。

八島社長
八島社長

出すほうも出すほうだけど、呼んだほうもすごいよね(笑)。商業施設に焼とりが本当にマッチするのか。ほとんど前例がなかっただろうから、大きな賭けだったはずです。お客様の目の前で焼くスタイル、強力な換気システムなど、私たちが譲れないところははっきりしていて、西鉄の方々はそれを実現するために全面的に協力してくれました。

オープン後の大ヒット。批判的に見ていた人たちも、結果を目の当たりにして、これまでの常識を変えざるを得なかった。商業施設と言えばチェーン店がメインというイメージだったが、ここから地元の路面店の出店が増えていく。

ソラリアプラザだけでなく、天神、そして博多駅の商業施設にも、「え、あの路面店の有名店が?」というリーシングが目玉となることが多くなった。現在の福岡の、商業施設の飲食ゾーンのラインナップは、八兵衛の出店から変わった潮流の結果と言って過言ではない。

子どもたちの「おいしいね」に目頭が熱くなる

ソラリアプラザ店の大ヒットは、八兵衛の苦境を救うこととなった。

八島社長
八島社長

正直、大繁盛したから良かったようなものの、「なんとか黒字」というくらいの状態であれば、財務的に行き詰まっていたでしょうね。みんなから反対された出店が、店を、会社を助けてくれました。

さらに、商業施設だったからこそ、新しい顧客層の発見もあった。夜の営業は圧倒的に女性客が多く、これは路面店でも見られた傾向だったが、ランチ営業に子連れ客が来店することは、八島社長も想定していなかった。

八島社長
八島社長

お子さんが、豚バラの串を持って、「おいしいね、おいしいね」って笑っている光景を見て、思わず目頭が熱くなりました。そうか、これまで子どもたちに焼とりを届けられてなかったのかって。

他にはバリアフリーの設計。車椅子の方が来店し、「ようやく八兵衛の焼とりを食べられたよ」と声を掛けられた時、感謝と申し訳ない気持ちで胸が詰まった。老夫婦から「電車の駅から近いので、来ることができてうれしい」と言ってもらえた時は、都心部の商業施設ならではの価値を、あらためて感じた。

八島社長
八島社長

ここはね、いい場所なんです。どの店を出店した時より、うれしかった。文字通り、震えた。今でも心から愛している店です。店づくりに常識はずれの大きな投資をしたのも、10年、20年と続けていく覚悟だったから。この店なら、いろんな新しいことができる。不思議とそう思えるんですよ。

今、八島社長の構想にあるのは、ランチタイムのスパークリングワインのフリーフロー(飲み放題)だ。

八島社長
八島社長

おしゃれな人たちが、焼とりでスパークリングワインを楽しむ。その笑顔が見えるんです。どんなスタイルが最適か、まだ議論している最中ですが、必ず実現したいと思っています。

5月から10年目に入る『焼とりの八兵衛 ソラリアプラザ店』。これからもなお、天神を楽しく、おもしろくする場所であり続けることは間違いない。

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